73号(1990年01月)11ページ
飼育係二十一年の思い出 秋元錠一【ラクダの出産について】
当園では過去三回にわたり出産がありました。ラクダの場合、妊娠期間は平均三三〇日です。そして三年から四年の周期で出産しております。
第一回目の出産は一九八〇年三月十八日でしたが、三日目に死亡。二回目は一九八四年五月二十九日に出産しましたが、この個体も翌月十七日に死亡してしまいました。両個体とも虚弱児で肢腰が弱かった為か自分で立ったり、座ったりできず、徐々に衰弱し、死亡。この間には親に唐ンつけられたり、蹴られたりしたことも原因にあると思いますが…。
三頭目は一九八六年五月十日に出産しました。前回死亡した二頭はいずれもメスで全身真白でした。今回はオスで体毛は前二頭とは対照的に真黒でした。骨格もじょうぶそうで、今度は親が面倒を見てくれるのではと期待しておりましたが、前回同様そっけないものでした。
仕方なく人工哺育に切りかえ育てる事になりました。名前は「ジョージ」と名付け、先に幼くて命を絶ってしまった二頭の分まで長生きしてほしいと思い、他の作業が終わり次第、この子に接しておりました。
市販の牛乳を一日四回、五百cc計二?g哺乳させ、月日がたつにつれ、回数を減らし、一回量を増していきました。
お互いに信頼し合うようになり、ジョージは私を本当の親の如く慕ってくれ、私も又自分の息子の如く育ててまいりました。然し動物園での飼育にはいつか別離の時があります。その時が私とジョージの所にもやってきました。一九八八年九月二日、山梨県の遊亀自然公園に引き取られていきました。最後お別れに、ジョージの大好物の牛乳をたっぷり与え、輸送箱に入れようとしましたが、なかなか入ってくれません。餌でだまし、ようやく輸送箱に入り車上の人いや動物となりましたが、私の方をむいて人間で言えば「助けてほしい!!」とでもいうように悲しげな鳴き声をたてておりました。私も悲しくなり、見送る勇気もなく、他の人達に後はまかせ、遠くで立ち去っていくジョージを見送りました。
去った後数ヶ月は、毎朝まだジョージがいる様な気がして、ラクダ舎に入舎する時、「ジョージ、お早よう」と?拶し、内に入ってから「ああ、もうジョージはいないだなあ」と思うと自然に涙がこみ上げてくるのでした。
帰りも、ジョージが居た時は、いつも私の姿が見えなくなるまで大声でなき、見送ってくれた事が、脳裏にやきついて消えません。
その後三回山梨まで逢いに行きました。やはり忘れず私の事を覚えていてくれて、名前を呼ぶととんできたりしました。が、翌年、原因は不明でしたが死亡したとの連絡が入り悲嘆にくれました。私にとって悲しい出来事でした。今でも当時の写真を眺めては思い出に耽っております。