74号(1990年03月)1ページ
類人猿を語る(チンパンジー編)
近年、チンパンジーに関する研究は盛んです。この日本平動物園ができる頃、すなわち二十余年前での「こういうことをしているらしい。ああいうこともしているらしい」が、「こんなことをしている。あんなこともしている」と、その習性がより明らかにされつつあります。
でも関係者はいいます。我々が知っているのはほんの一部だと。ヒトへ進化してゆく過程の「失われた輪」を解明する。”鍵”を握っているチンパンジー、その秘められた能力は、私達の想像をはるかに超えています。
「こんな飼い方をしていたら、その内人権問題になるで」とは、関西の動物園で働いている方と会話していた時の、ひと駒。鉄オリとコンクリートの囲いの中で、彼らの繊細な神経が麻耗するのを憂いての発言でした。
一年近く前、何処かでチンパンジーがオリの鍵を開けて脱走する事件がありましたが、私達からすればそう驚く程のことではありませんでした。それぐらいの能力は十分に備えているし、ましてや知能訓練を受けていたとなれば、不思議でも何でもありません。
★育児能力
能力といえば、不思議に思うのは何といっても育児に関してです。チンパンジーに限らず、サル(真猿類)にとって交尾と育児は学習、と私達の頭の中にほぼ常識としてインプットされています。
そう思いつつ、当園のパンジーとディジーを見ていると、断言できないというのが実感です。他にも何か要因があると…。
彼女達は二才ぐらいの時に親から引き離され、ショー用の調教を受けてしばらく舞台に立った後、当園へやってくるという経緯をたどっています。当然、育児もろもろに
関する学習は、限りなくゼロに近い。
先のほぼ常識という考えを当てはまれば、どちらが生んでも人工哺育。母性本能から抱きはしても、哺乳という行為はできない筈です。
ところが、パンジーは抱くだけでなく哺乳もしました。世辞にも上手とはいえない。むしろハラハラドキドキさせる育児でしたが、とにもかくにも学習もないのに面倒を見ました。
もし、育児に関する全てが学習であるとするなら、先のことは説明はつきません。ですが、わずか二年余りとはいえ親に育てられています。私はそこにキーポイントがあるのではなかろうか、と考えました。
頭のいい奴なら遠い記憶を呼び起こし、試行錯誤を繰り返しながらしっかりした育児能力を身につけてゆくのではなかろうか、と。
ただただお人好しのもう一頭のメス、ディジーの行動を見ればなおさらです。出産しても、抱くというより足元に置く有様でした。遠い過去の母親に育てられた記憶など、かけらもなかったのでしょう。
彼女の生んだ、リッキー、セディ、いずれも人工哺育にせざるを得ませんでした。そして今年、次に向かっての準備が始まりそうだといいますから、来年辺りに又、”育児能力のなさ”を露呈しそうです。
★真昼の決斗
頭がいいなんていえば、聞こえがいい。表現を変えれば、ずるい、こすっからいともいえます。パンジーは、そんな個体です。
もう十一年以上も前、オスのポコと共にパンジーとディジーがやってきて、私はナンバー2として接さねばならなくなりました。つまり、担当者が休んだ時にその代わりをする訳です。
社会性の強い動物は、当然飼育係にも序列をつけます。担当者はボスとして君臨できるからといいとしても、ニ位、三位になる者の立場は微妙です。必ずしも、優位に立てる訳ではありません。
当時、いずれも七〜八才。立場のはっきりしない者が入ってゆくには、微妙な年令でした。しかし、ここで憶してはこの後どんな困った問題が生じるかと、えいー。
まずは、スキンシップから。できる限り餌は直接手から与えました。三頭共思いの他素直に従順に受け取り、ナンバー2の地位は容易に固まるかに見えました。
為にやや私に油断が生じたのか、いつものように餌を与えようとパンジーにバナナを差し出したある日のこと、それを受け取るように見せかけ、すうっと横に回り私の左足をがぶりと咬んで逃走。
元々瞬間湯沸器の気のある私。大爆発といっていいでしょう。「パンジー、このヤロー、降りてこい」と、自分でも驚く程の大声を張り上げて、放飼場の中を追い回しました。
けっこう広い放飼場です。捕えられる筈はありません。(パンジーはそれを計算に入れていたかも)、なお大声を張り上げ、遂にはど太いホースを引っ張り出し、パンジーめがけてビュー。逃げるとこ、逃げるとこへ、しつっこく。
さすがにパンジーは、これには参ったようです。三十分も過ぎた頃、だーっと私のところに走り寄ってきて降参のプレゼンティング(四つんばいになって背を見せる)。クソッ頭をぶん殴ってやろうかと思ったものの、背信行為になってしまうと止まり、腰を強く押さえた後放免してあげました。
結局、この真昼のドタバタ喜劇といい決斗が効を奏し、代番をしている間は優位に立ちました。が、次の代番者がいうことを聞いて貰えずどんなに苦しんだことでしょう。七十三号での告白、本当にせつなさが伝わってきます。
★ストレス
チンパンジーは神経の繊細な生き物ですが、これは飼う側からすれば、実に厄介な問題を投げかけます。ストレスがたまり易く、その歪みが様々な形となって表れてくるのです。
毛のないチンパンジーを見たことがありませんか。あるいはウンチを喰ったりしているところを。かつては栄養のアンバランスがうんぬんされたこともありましたが、今ではストレスが高じてては、というのが一般的な見方です。
当園では、ディジーに顕著に見られました。最も下位にいることもさることながら、ポコに対するパンジーの交尾拒否によるトラブルが頻繁に生じたことが災いしていたでしょうし、これ以外には何もない単調な生活も災いしていたでしょう。
毛を食べて、ウンチを食べて、ストレスが解消するとは思えません。でも、そうでもしていないとたまらないという心境。神経質と思わざるを得ませんし、これを解消することは当園に阻らず動物園の責務です。
社会性が強いというのならできるだけ多い数で飼育する、日々が単調ならそうならないように工夫する。少なくともそれぐらいの気配りは必要でしょう。
人工のアリ塚を作り、その中にジュースやあるいはハチミツの薄めたのを入れて、それを細い小枝を突っ込めば舐められるようにする。これは解決策のひとつとしてかなりの動物園で受け入れられています。無論、当園ででも。思った程関心を示さないそうですが、ないよりも余程いい。
それよりも昨年の三月に子が生まれたことが、周囲の状況を非常に変えているようです。雰囲気をうんと和らげ、日々に変化をつけ、かつ何ともいえぬあったかさです。当分の間、ストレスはそうたまることはないでしょう
★母と子の間には…
「サルの母親が、豆の皮をむいて子に与える程愛らしい光景はない。」これは、何年か前にけっこう名の通った新聞に掲載されたある記事の表現の一部です。皮肉っぽくいうなら、これは前代未聞の大発見です。
動物園で運よく給餌の時間に出会って、それが母子でいたとしても、そんな光景にお目にかかれることはないでしょう。サルの文化に「与える」はない、とされています。
私自身サルとは縁が深く、いろんなことに出会っていますが、母ザルが子ザルに何か与えるのは見たことはありません。でも邪魔をすることはなく、子ザルが強引に母親の食べているものを取りにゆく、そんな光景には度々出会っています。
こんなことを書くのは、どうもチンパンジーは別格に思えるからです。ゴリラ、オランウータン以上にです。
いわゆる獲物に対してはランキングに関らず真先に獲った者が優先権を持つこと、
それを自分の好きな相手には分配することは知っていました。でも、それ以上の行為があろうとは…。
ある動物園で次代のボスを育てるべく、新たにオスの子を迎えた時のことです。託した筈の子を失ったメスが面倒を見ず、どういう訳か育児経験のない若メスが手を差しのべました。
しかし、そのまま自分の部屋へ連れてったところで、子の分の餌はありません。どうしたと思われますか?若メスは空腹をこらえ、オスの子がむしゃむしゃ食べるのをじっと見守っていたそうです。そして、残った分だけを食べたそうです。
赤の他人を面倒見るだけでも驚きなのに、そこまでやるとは…。またまた、チンパンジーを見直す気持ちになりました。
笑うという高度な感情表現、これはヒト以外ではチンパンジーだけといわれています(ゴリラにもそう思える表現はある)。実際、幼獣と接するとよく笑います。脇をくすぐった時に笑う仕草などはヒトそっくりです。
高度といえば、道具を使うこともそう。アリ塚の中にいるアリを細い小枝でもって釣って食べるだけでも驚きなのに、最近では殻が固くてとても食べられそうにもない木の実を、石で割って食べることも報告されています。
もっとも、記号や手話による会話すらできる彼らです。ちょっとやそっとのことで驚くほうがどうかしているのかもしれません。平たくいえば、今まで彼らのことをあまりに知らな過ぎたのです。
で、理解を深めてゆこうとする中で思わず顔をしかめてしまうのは、ヒトが見せる醜さと同様のものに出会うこと。何故、知能程度が高くなるこうなるか、とも思います。
同種間殺りく。同業の仲間から聞いた話ですが、他の群れからメスを奪う際にそこのリーダーであるオス達を殺したというような例があるそうです。新参のメスが生んだ子がオスなら、六ヶ月前後経った頃に奪って食べてしまう。これはテレビの画面にしっかり写し出されました。
その放心状態の顔を見るにつけ、遂にまたチンパンジーが分からなくなってきました。この動物、良くも悪くも奥が深い…。
(松下 憲行)