でっきぶらし(News Paper)

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類人猿を語る ゴリラ編・その1

 「ゴロン」と私の呼びかけに、ゴロンは冷たく厳しい目でにらみ返してきます。「ふん、何だ。今頃何しに来やがった。裏切り者め!!」と、さも憎々しそうに言いた気です。
 ここ三年近くは、彼を撮った写真の枚数が少ないだけでなく、ろくなのがありません。彼の信頼を失い、敬意を失った悲哀が如実に表れています。言い訳できるものならしたい、偽らざる心境です。
 例え一週間に一〜二度であれ、幼少期より面倒を見ていれば非常に高い信頼関係が得られます。チンパンジー編で述べたような危ないナンバー2でなく、威厳のあるナンバー2になれます。
 とはいえ、面倒を見続けていればの話。担当替えを命じられて一定の空白、半年か一年ぐらい経ってから顔を合わせると、逆により惨めになってしまいます。彼らからすれば、突然姿を消した裏切り者以外の何者でもありません。だからこそ言い訳ができるなら、したいのです。
 写真は半ば諦めています。より大人の風貌を見せるのはこれからですが、積み重ねてきた記録があるので残念といえば残念ですが…。

★ひとりぼっちの来園

 ゴリラは開園十周年を記念して展示されることになったのですが、十一年前でも購入はやや困難になっていました。で、取り合えずやって来たのは、オスのゴロン一頭だけ。
 輸送箱から放飼場へ放れたゴロン、さぞや疲れていると思い気や、何の何の取材に駆けつけた報道陣や飼育係の間を人を喰ったような仕草で走り抜けます。新聞記者の方々が写真を撮ろうにも、右と思えば左、左と思えばとんでもないほうへと、とにかくそこら中を元気よく駆け抜けていったのです。
 動物園で生まれ育っただけでなく、”人間大好き”を率直に感じさせてくれました。担当者ならずとも、ひと安心です。ゴリラは、顔に似合わず神経質な動物です。ストレスがたまり易く、ちょっとしたアクシデントが命取りになりかねない。それはゴリラを飼育するに当たって他園の方々からいやと言う程聞かされていました。
 でも、目の前にいるゴロンは不安を一掃する活発さ。推定でながら年令も二才と若く、体重も十四・五kg。新しい環境に順応させるに申し分のない条件です。これでメスも一緒だったらね本当に苦労なしだったのですが…。
 メスはいつやって来るのやら。早く来いと願いながらやんちゃ坊主のゴリラの飼育が始まりました。

★ゴロンとレスリングして

 当時、私も若かった。ゴロン寂しいか、それじゃあちょっとレスリングでもして一緒に遊んでやろうとそんな気になったのですから…。
 体重十六〜七kg(成長期だから体重はすぐに増える)ぐらいならちょろく簡単にあしらえると思われるでしょう。いえいえ、自信を持てるのはせいぜい十二〜三kgまでです。負けはしなくとも、とてもギブアップは取れません。
 何を考えているといぶかしい気持ちになるかもしれませんが、レスリングでの遊びであっても負けてはならないのが縦社会の原曹ナす。笑って遊びながらも、強さは誇示しなければなりません。
 ゴロン、強かったですね。押さえつけても押さえつけても跳ね除けて逃げてゆきました。でもね、一度だけギブアップをとりました。ちょっと頭を使って、うまく後ろに回り腕をねじってそのまま体重を浴びせたのです。これにはさすがに参ったようです。この技、相手が人間ならまず間違いなく負傷していたでしょう。
 オランと遊び、チンプと遊び、ゴリラと遊び、時には叱りもして、ゴリラはやはり凄いと思いました。キングコングのイメージができるのも当然と思いました。筋肉のできが違うのです。それに骨の硬さ、オランだってチンプだって驚く程硬いのに、ゴリラの骨は鋼鉄そのもの。本気であの顔面を素手でぶっ叩いたら、その手の骨は間違いなく砕けるでしょう。 
 骨の硬さ、筋肉の強じんさを証明するかのようなアクシデントが、一度ならず二度もありました。五m以上あろう放飼場の天井から、コンクリートの床面へドスーンと落ちたのです。二度目はさすがショックを受けたそうですが、ただそれだけで、何処か怪我をした訳でもありません。
 ゴリラは、やはりキングコングのイメージを作り上げるだけのものを持っている生き物です。

★トトの来園

 ゴロンが来園して四ヶ月経って、ようやくメスがやって来ました。しかし、何ともひどい栄養失調状態です。聞けば、空港についたばかりの時は冷たくて動物商の方もビックリ。自分の手元に置くより早く動物園へ持っていって完全看護を仰いだほうがよいと判断、急いで持ってきたそうです。
 トトと名付けられたメス。日本平動物園へやって来るまでの経過が、複雑と言うか、煩雑というか、とにかくややっこしい。
 十一年前当時でも、ゴリラは絶滅の危機に瀕していて、原産地から購入するなんてことはとんでもないことでした。が、トトはその例外でした。親からはぐれ、かつひ弱くて野生へ戻すのは無理と判断され、いわば特例として認められ、当時カメルーン(中央アフリカ)から出る最後のゴリラとして輸出されました。
 が、しかし、行く先は自然保護に関しては悪名の高い日本です。途中に立ち寄ったイギリスの空港でクレームがつき、トトはヨーロッパの空を迷走、その間に五kg以上あった体重は激減…。
 いろんな調査を受けながらも、行く先は個人ではなく公立のしかるべき動物園ということで、ようやく許可がおりました。でも、トトは体重の激減から生死の間をさ迷う程に体力は落ち込んでいました。
 一才にはなっているだろうとは思われましたが、とても固形食など与えられる状態ではなく、足腰も弱り切ってしっかり立てぬ状態でした。ゴロンと一緒にするなんて、とてもとても…。
 トトはゴリラ舎ではなく、動物病院に預けられました。やせ細った手足、妙につき出たお腹、これが栄養失調でなくて何が栄養失調でしょう。体力を回復させない限り、何の目算も立てられません。食べるものはオートミール、一ヶ月経ってもやっとよちよち歩きの状態でした。
 ニ〜三百m先にあるゴリラ舎が何と遠いこと。その年の十二月の初めにトトの散歩に接して、体力がつきやっと少しばかりの力強さを見せたものの、それでもゴリラ舎へはまだまだの感はぬぐえませんでした。

★ゴロンとトトのお見合い

 トトが餌をふつうに食べるようになり、足腰の力もしっかりついて、もう大丈夫と言えるようになったのは、年も明け春の気配そこかしこに漂い始めた頃でした。一応の目安にしていた体重十kgもクリアして、七ヶ月過ごした病院を後にして本家本元のゴリラ舎へ向かいました。
 でも、誰が明るい気持ちでいたでしょう。トトに関った者は皆、気が重かった筈です。この時ゴロンはもう三十kg近くにまで体重は増え、十kgそこそこのトトと一緒にするなんてとても無理どころか、先の見通しは限りなくゼロでした。
 元来、メスはおしとやかでオスはやんちゃです。そんな性格の違いを唐ワえれば、同居作業はメスの方がひと回り大きい方が割合にスムースにゆきます。つまり、オスが少しばかりの乱暴を仕掛けてもメスが体力負けしないでいなすかかわす力があれば、トラブルはそう起きないものです。
 ゴロンとトト、全く逆のケースです。このような同居作業が一番苦労します。ゴロンが冗談のつもりで仕掛ける遊びもトトにとっては暴力。だから咬みつき返す。怒ったゴロンが更に強烈にやり返す。間にいる担当者はトトをかばいゴロンを叱る。叱られたゴロンはいじける。毎日二〜三時間決まったようなバターンが続きました。ゴロンもトトも、それ以上に担当者にもたまったでろう見合いによるストレス。これは一年八ヶ月続きました。

★トトの避難場所

 お見合いしている間、トトがゴリラ舎の放飼場にいられたのは担当者がいる時だけでした。本来ならば寝部屋に入れておくしかなかったでしょうが、できれば日光浴もさせたいし、気分転換できる場を与えてやりたいものです。
 ありました、ありました、オランウータンの放飼場です。緊急に作られた狭い放飼場でしたが、そこには病院時代から付き合いのある人工哺育で育てられたまだ一才半になるかならないかのユミがいるだけです。”逃げ場”としておあつらえ向きの場所です。
 私自身、これには直接関っていながら、同居のいきさつをよく覚えております。言い換えれば、ここでのユミとトトとの同居には何ら問題がなかったのてず。お互いに種類が違うこと、彼女達はどう意識していたかは知りませんが…。
 私にとって印象深いのは、それから一年近く経って更に次の繁殖を図るためにオランウータンの母親からケンを分け、彼女達と同居させた後のトトとケンの仲です。わずか数ヶ月の同居でしたが、急速にその仲を深めました。
 トトとユミの仲はどこかよそよそしく、何か距離があるようでした。トトはメスでありながらも少々のやんちゃは好みました。そこへオスのケンが。しかも自分よりひと回り以上小さく自らのペースを崩されずに遊べるとあっては、すぐに打ち解けよういうもの。
 ゴロン相手の時には縮こまってすぐに担当者の背に隠れおどおどしていたのが、ケンを相手の時には全く別のゴリラのように生き生きしていました。ゴリラも笑う、そう思えるだけの感情表現はある、それ位生き生きしていました。
 それに驚いたのは、ケンのゴリラ化です。オランウータンは地上を走ることはできず、ジャンプ力もゼロです。そんな体質からでしょう、性格は用心深くブランコのような遊具を入れてやっても、それに完全に身を任すような遊びはしません。ところがどうしてどうして、天井から鎖で吊るしたタイヤのブランコで毎日のように遊ぶトトの姿を見て、ケンはいつしか真似をするようになったのです。しっかり固定したものに足か手をかけていなければ、決して触ろうとしなかったのに変われば変わるものです。
 こうした苦労と数多くのエピソードを残してゴロンとトトは何とか同居が可能になりました。次回は、大人に至る過程にスポットを当てて語りましょう。
                                           (松下 憲行)

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