76号(1990年07月)1ページ
類人猿を語る ゴリラ編・その2
昨今、何かにつけて類人猿がよく話題になります。テレビの動物番組を見ていてもその比重はかなり高いように思われます。
時に、戦争や地球の環境汚染が問題、話題になって、では我々はいったい本来はどんな生き物なんだろうと考えた時、それを知るヒントを与えてくれるのが、ゴリラ、チンパンジー、オランウータン。
研究も盛んです。野生のゴリラやチンパンジーに仲間として入り込んだ人もかなりいます。昨年、そんな人を主人公にした映画を見ましたが、あまりにもののめり込みに声が出なくなる程の驚きを覚えました。
「彼等は動物ではない。人である」と言われて久しく、映画のモデルになった方はゴリラを殺したものには殺人罪を適用せよ。と叫び訴えました。
冷めた気持ちで聞いていると狂っているようにも思えますが、彼等を少しでも知る人ならもっともな意見として聞いているでしょう。彼等を失ったら、私達は永遠に自分達が何者かを知ることができなくなります。
★ゴロンの病気と怪我
ゴロンとトトの同居可能は、代番の私にさえも安堵感を与えてくれました。彼等の面倒を見るにもやはりリズムよくしたいもの、ゴリラはゴリラと、オランウータンはオランウータンとです。それに、そのほうが何と言っても自然です。
さて、それで悩み解消と言える程、育ち盛りの暴れん坊は飼育係を楽にさせてはくれません。病気、怪我は絶えずついて回りました。特にゴロンは、ひと通りの病気はと言うぐらい、あれやこれやと担当者を悩ませました。
恒常的に悩ませたのは、足の裏のひび割れです。トトと追いかけっこをしてして遊び回って、夕方になって足を痛そうにかばっているので何かと思えば、かかとにひびが入り血をにじませていたのです。
担当者は、朝に昼に夕に入念にワセリンをぬり込んでいましたが、効果の程はさっぱりでした。床がコンクリートでそこへ遊び盛り、痛くてもかばっているのは初めの内だけで、夢中になると何もかも忘れてトトを追い回しました。これでは、ワセリンはコンクリートにとられるばかりです。
そんなゴロンが風邪をひくと、ふだんがふだんですから、ゴリラ舎は妙に静まりかえりました。一見トトのほうが弱そうでしたが、風邪にはめっぽう強くニ〜三日ぐしゅんぐしゅんしているだけで治まり、ゴロンに移ってさあ大変がいつものパターンでした。
この辺までは、変な言い方ですが予測できると言うか、常識的に対応できる当たり前の病気の範囲内でした。飼育係を更には獣医までを悩ませたのは、耳だれを出した時や目ヤニをため目をしょぼしょぼさせた時のことです。
ゴロンと担当者の格闘技もどきの治療もさることながら、よりゴリラに合った薬と症状の的確な判断でした。ゴリラの体質は人に近いのだから、人の医者に委ねるべきとの議論がしばしばかわされました。
この問題は、ゴリラに限らず類人猿が何かコトを起こす度に議論がかわされるでしょう。事実、他園で人の医者に委ねられた話しは時々耳にしますし、当園ででもオランウータンの場合には委ねられたケースがあります。
★ゴロンのエッチ
ゴロン、何もトトを追い回して遊んでいたばかりではありません。大きくなれば、当然性にも目覚めます。となれば、時にはトトに異性として接することがあったっていい筈です。
そう、同居が可能になってニ〜三年経った頃でしょうか。放飼場から妙な呻くような「ウッウッウッ」と言う声が聞こえてきて、目をやるとゴロンがトトを抱きしめ、エッチな遊びをしていたのです。
まあまあオマセなことをと思いつつ、大人になるまで続いてくれればいいのだけれどーの不安と期待。ゴリラは性的好奇心の弱い動物です。一人前になってしまうと単なる同居相手にしかならない場合が多いのです。
これは、案の定と言うべきでしょう。成長期の一時期にしばしば見せたエッチな行為も次第に見られなくなり、体格ががっちりして立派な若者になった時にはすっかり関心を失ってしまったようです。トトもそれなりにいい娘さんになったと言うのに…。
野生でも、少年時代にはメスに対してけっこうエッチな遊びをするそうです。そんな遊びを繰り返しながらメスと付き合う方法、平たく言ってしまえば交尾のやり方を覚えてゆくのだそうです。より上手に覚えた者が、ボスの資格を有するのだそうです。
ゴロン、相手がトトひとりでは、経験が乏し過ぎたのかもしれません。それに一対一では、互いに遊ぶ遊ばないもないでしょう。
とは言え、少年時代の一時期に見せたエッチな心をゴロンはいったい何処へやってしまったのでしょう。甦せるものなら甦らせて欲しい…。
★したたかトトの命令無視
オスとメス、どちらが従順かと問われれば、私は迷うことなくオスと答えます。確かにどの類人猿のオスにも特有の頑固さがあり、強情さがあります。発情と言う魔物が狂気を呼び、主従関係を時にはひっくり返します。でも、オスのほうが従順と私は答えたい…。
類人猿のいろんなメスに接して、いずれも少々のおてんばは好んでも物静かでおとなしかった、率直な印象です。これではつじつまが合いませんが、弱い奴はしたたかでずる賢い。偏見のようですが、そんな風に考えてみればどうでしょう。
ナンバー1の者からは見れず、ナンバー2やナンバー3の者からは見えるのが、実はそれなのです。私は、トトに対してかなり威厳のあるナンバー2でした。割合に従順であったものの、年令を無視できるものならしてやろうと言うしたたかさを、いわゆる娘時代に入ると見せ始めました。
「朝から怒鳴るようなことはしたくない」こんな内心を見透かすように「座って食べなさい」の命令を無視。少々叱ってもマイペースの食事です。これにはいささかどころか、相当頭にきました。
やさしさが仇と言うか、ナンバー2の遠慮をしっかり見抜いていたのです。要するに、少々叱られたって られっこない、叩かれっこない、のつけあがりがあったのです。
実際、どんなに頭にきたって、彼等の体を傷つけてはいけません。飼育係の恥です。
では、どうしたのかと言えば、未知数を作っておく脅しです。「手前、言う事を聞けってのが分からねえのか」と、トドの眼前で竹棒をヒューンヒューンと一降り、その勢いで鉄格子にゴーン、ガリガリガリー竹棒は見る間にひびか入って割れるものの、トトはギョロ目をむいて降参です。
こんなことを何回か繰り返しました。それだけトトはこちらの顔色をうかがい、隙をうかがっていたのです。全くしたたか、今思えば関わりのあった間、よく威厳のあるナンバー2でいられたと不思議なぐらいです。
★ゴロン大人の風格
ゴロンの成長記録をどうやって撮ろう、記録マンを自称する私にとって、これは頭痛のタネでした。一定の間隔をあけて撮るとして、どのようにして成長を分かるようにするかです。
閃めいたひとつの案は、一年に一度、ゴロンが来園した日と同じ日に担当者と一緒に撮ることです。ゴロンの一年ごとの大きさの変化を表現できるのではと考えたのです。
私にしてはなかなかのアイデア。ニ〜三年の積み重ねではあまりパッとしなかったものの、七〜八年経ってくるとぐっと面白味が増しました。最初は担当者の横でちっちゃくちょこんと座っていたのが、いつしか同じ体格、今年が最後になるだろうと担当者が言った時には、担当者をもう押し潰さんばかりでした。
ゴリラを覆う毛は、黒だけと思われるでしょうか。いいえ大人のリーダーとして活躍するオスの背中は銀色の毛で輝いています。それらのオスに対しては”シルバーバック”と呼びます。
ゴロン、そこまでに到達するのは、まだ数年の歳月を要するでしょう。しかし、後頭部が盛り上がったいかつい顔、ぶ厚い胸、筋肉もりもりの腕や脚、何処をとっても昔日を偲ばせるものはありません。それ程、たくましくなっています。
十年前、こいつとレスリングして勝ったことがあるよと言ったって誰も信用してくれないでしょう。懐かしい思い出です。
★ゴリラ、今後の課題
ここまでくれば、今後の目的も課題もただひとつ。繁殖あるのみです。だが、しかし、その目的、課題をどうやってクリアーしましょう。
ゴリラほど、繁殖に導くにむつかしい動物はいません。一昔前は、繁殖どころか育てること自体がむつかしいと言われてきました。今日でも、成長期での死亡は、チンパンジーやオランウータンに比べて多いように思われます。
むつかしい、むつかしいだけでは話になりません。では、日本の動物園でいったいどれくらい繁殖しているのでしょう。香川の栗林動物園、京都動物園の二例、別府楽天地、私の知っている限りではこの四例だけです。後あえてつけ足すとすれば、東山動物園の死産例ぐらい…。
年令的にはまだまだ若く余裕のある当園のゴリラ。未来に限りないチャンスを秘めている筈です。その目的、課題の実現は、成功した四例をどう当てはめられるか、その辺がキーポイントかもしれません。
性的欲求が乏しいと言われるゴリラ。座して待っていれば、いたずらに老いてゆくだけでしょう。刺激を与える、様々な工夫が必要です。
外国の動物では、日本よりはるかに多くの数の繁殖に導きながら危機意識は相当なものだと言われています。座して待つより人工授精とそれももう実用段階に入っているそうです。
いずれ日本のどの動物園へ行っても見られなくなってしまう。ゴリラはそんな危機な要素を大いにはらんだ生き物です。だからこそ、ゴリラの繁殖は今後の大いなる目的、課題なのです。
(松下 憲行)