78号(1990年11月)2ページ
年にちなんで
(小島 昭一)
ヒツジはラテン名をオヴィス(OVIS)、英名をシープ(SHEEP)、フランス名をムートン(MOUTON)、ドイツ名をシャーフ(DAS SCHAF)といいます。
未年の動物であるヒツジ(羊)は、用途の広い家畜で、毛用、肉用、毛皮用、乳用などの目的で広く世界中で飼われています。品種の数の多いのも家畜一で、世界中の種類を集めると三千種あるというから驚きです。
ヒツジの用途で最も有名なのは羊毛の利用です。わが国でヒツジのことをメンヨウ(緬羊)というのは、緬毛を利用するヒツジの意味からきています。
ヒツジは、はたしていつ頃から人間が利用し始めたのか、このことを正確に知ることはむずかしいですが、少なくとも紀元前六千年以上も昔のことと考えられています。その一つの証拠として、紀元前六千年頃の北部イランのベルト洞窟からヒツジの骨が出土していることがあげられています。おそらく西アジアや中央アジアの原始人は、中石器時代から野生のヒツジを狩猟の対象にして毛皮や肉を利用していたはずで、それが次第に遊牧生活のなかにとり入れられるようになり、馴化されていったと思われます。こうして馴化されたヒツジが中央アジアから、一方はヨーロッパへ、また他方は中国へと伝えられていきました。
では、いったい人間はどんな野生のヒツジを馴化していったのでしょうか。これを考えるには、西アジアから中央アジアに生息しているか、いたことのある野生ヒツジでなければなりません。この最有力とされるものは、今も地中海のサルディニア島やコルシカ島の山地に住むムフロンと呼ばれる野生ヒツジです。この種はかつて北アフリカから中央アジアまで分布していたことや、家畜ヒツジとよく交雑することから支持する人が多いです。この他には中央アジアから中国西北部、蒙古などに分布しているアルガリ、イラン、チベット、インド、アフガニスタンなどに分布しているエリアルなども関係があるとみられています。いずれにしても学者によって、ムフロンの単元説と、そればかりではないという多元説とがあって、決着はついていないのが現状です。
日本人とヒツジの係わりは、他の家畜からみると歴史が浅いです。日本に初めてヒツジが渡来したのは推古天皇の時代(六百年頃)で、百済から二頭のヒツジが献上されたことがあるそうです。家畜としてヒツジが輸入されたのは、文化二年〈一八〇五年)のことで、中国から入れられたヒツジを肥前浦上と江戸巣鴨で三百頭ほど飼養した記録があります。本格的に輸入が始まったのは明治に入ってからで、明治二年にアメリカよりメリノー種、明治八年に同じメリノー種、さらに明治四十二年にイギリスからサウスダウン種、シュロップシャー種などが入っています。
ヒツジが産業として定着したのは、昭和年間になってからオーストラリアやニュージーランドから、毛肉兼用種のコリデール種が輸入されるようになってからです。第二次大戦勃発と共に、ヒツジや羊毛の輸入が中止されたのを契機に国内においてヒツジの飼養熱が高まり、一時は八十万頭近くも羊毛生産の為飼養されましたが、現在では羊毛はすべて輸入にたより、わずか一万頭が肉用に飼われているにすぎません。
乾燥地帯の多い中国では、ヒツジは古くから重要な家畜であったらしく、ヒツジに関する文字やことわざがいろいろあります。それでは、それらのいくつかをひろってみましょう。
文字に関して、羊はめでたく、性質がよいということから「祥」や「善」の字が生まれ、羊の大きいものこそ美しいということから「美」が生まれました。「養」の字は羊の肉を食べさせてやしなうことからつくられました。「義」という字はもともと権利の意味で、羊をわがものにすることが権利ということからはじまりました。「群」は羊が常にむらがることから生まれた字。「羨(うらやむ)」は羊の肉の料理をみてよだれ(次)をたらしてほしがることから生まれた字。菓子の「羊羹(ようかん)」はもともと小羊の吸物(羹)が冷えてニコゴリができたものを羊羹とよんだことから、それに似た菓子ということで名付けられました。
ことわざにもいろいろ面白いものがあります。
◎「羊頭をかがげて狗肉を売る」
店頭に羊の頭をぶらさげて羊の肉を売るとみせかけて、その実犬の肉(狗肉) を売るというインチキ商法のたとえ。見せかけやふれこみと実際が伴わないことを いう。
◎「羊質にして虎皮す(羊質虎皮)」
見かけだおしで内容の伴わない事のたとえ。
◎「羊を亡い牢を補う」
過ちを犯してから悔い改むること。
◎「屠所にひかれる羊」
あわれなようすをたとえることば。
◎「羊をして狼に将たら使む」
柔弱な人に強悍な兵を率いさせること。
◎「羊の群の中をラクダが走る」
ずばぬけて優れていること。
◎「羊腸」
坂路のまがりくねったさま。羊の腸が長くうねっていることのたとえ。
◎「亡羊の歎」
学問の奥の深さや事物の偉大さの前に自分の力のいたらなさをなげく。
最後にヒツジの名の由来についてお話しましょう。ヒツジは、古代にはいなかった動物なので、大和言葉の古名にはありません。後世中国から渡来したもので、特に干支の伝来と共に日常語としてひろく用いられるようになりました。ヒツジという呼び名は、十二支の未からでたと思われています。「日本釈名」には、”ヒツジの時は、日の天にのぼりて西へさがる辻也”とし、ヒツジを”日辻”としている。「和釧栞」(谷川土清)にも”羊はもと我が国になきものなれば”十二支の本訓なるべし”としてある。そして”未の時は、日の西に旋る辻也”と書と書かれています。ヒツジという名は、おそらくこの”日辻”に由来するものであろうと思われます。