でっきぶらし(News Paper)

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オランウータンを語る ベリー編

 ダチョウ舎の前、人の足が止まります。それも次から次、時には十人前後の方が"ある小さな箱゛に群がります。
 何があるって、そこにはダチョウの卵が置いてあるのです。中味を抜いて砂を入れ綿を入れてコーキングし、ほぼ本来の重さにしてあります。その箱の中に手を入れて思い思いに楽しまれているのです。(卵は箱の外へは出せないようにしてある。)
 記録係の方の発案ですが、クリーンヒットと言うよりこれは正しくホームラン。その時のお客様の顔、皆ほころんでいます。思わぬ体験をした少年少女の顔です。
 自らの手の感覚で味わえる楽しさが、そこにあるからでしょう。往々にして受身になって楽しまざるを得ない中で、ほんのひと時ながらそこは別の世界です。
 かつて、オランウータンを担当していた時にもありました。ある瞬間にお客様の表情が一変し、見る見る内に歓声をあげられることが…

★オランウータンの散歩

 オランウータンと獣舎の中だけで付き合っていたらどうなるでしょう。 個体の性質にもよりますが、十中八、九は、ヒト見知りが激しくなり、係員以外は寄せつけなくなってしまいます。
 常識的にはやむを得ないことですが、動物園のような環境では、できるならヒトと付き合えるようにしておくほうが何かにつけて楽です。少なくとも、ヒトに見られることによるストレスだけはなくなります。
 更に多少のしつけをつければ、私達のより勉強材料になり得ますし、サマースクールや触れ合いコーナーへの参加もできるようになります。人間臭すぎる故か、あまり幼児には向かないようですが・・・。
 では、ふだんどう扱っていればいいのかと言えば、散歩です。決まった時間に決まったコースを習慣づければ、彼らも非常に楽しみにするようになります。鎖なんかつけなくったって、主人とも親とも頼む飼育係からほとんど離れようとはしません。
 そうした日常に、初めに述べたダチョウの卵に触れられた時のお客様の表情に出会ったのです。正直に言ってサービスの為ではありませんでしたから、お客様の少ない時間、少ないコースを選びました。それでもかなり多くのお客様がオランウータンと時にはチンパンジーと遊んで行かれました。
 見も知らぬ方より、動物園でのお客様の楽しい思い出を耳にすることがあります。オリにいるばかりと思っていた動物が外に出ていた、なおかつ触って触れて遊ぶことができた、と。何か童話の世界にでも入ったような気持ちになられたようです。
 クリコ、ユミ、ケン、ジュン、ベリー、そしてチンパンジーのター坊、サブ、リッキー、私と一緒に園内を散歩した彼らの名前です。懐かしくあると同時に一度もお客様とトラブルを起こさなかったこと、自信を持って外へ出したとは言え、それも幸いなことではありました。

★ベリーの来園

 湧れる泉のように尽きぬ思い出にとまどい、何処から書き出せばよいのやら悪い頭を悩ませました。でも、担当を離れはしたものの、何かある度に接するのは今いるジュンとベリー。彼らから語るのが順当でしょう。
 で、どっちが主役と言えば、メスのベリーです。オスは、所詮さしみのつま。脇役で周囲を固めるしかないのです。
 もう何年前でしょう、かれこれ六年余り経つでしょうか。横浜の野毛山動物園へ遊びに行った時のことです。人工哺育で育てられた、目がパッチリして毛のふさふさした可愛いオランウータンの子がいたのです。
 内心「こいつをジュンの嫁さんに頂きだ。」いえ、親しい友人のいる園でしたから、高らかに宣言したかもしれません。決定権も何もない一介の飼育係が何をほざくかですが、可愛くて可愛くてぞっこん惚れ込んでしまったのです。
 後は行動あるのみ。戻れば早速上司に依頼です。「ジュンと年齢的にも釣り合いのとれたいいメスが横浜にいます。どうぞ話を進めて下さい。」と、まあこんな風にです。
 しかし、現実は厳しいと言うかむつかしいと言うか、簡単にコトは運びません。いまはごく平凡なサルでさえ、出所がはっきりしていなければ購入はままならないのです。ましてや相手はオランウータン。二つの園が合意。
 ブリーディングローン、こんな言葉を御存知でしょうか。日本語に直せば、繁殖の為の貸し出し、と言う意味になります。
 そもそもベリーが、そうした中から生まれた個体でした。横浜の動物園が先に述べた理由で借り受け、それが実を結んだ第一号だったのです。
 所有権は、大元の犬山市にある日本モンキーセンターにありました。お願いはまずそちらへです。そして、譲渡される意味合いも目的も数が少なくなったオランウータンの繁殖でした。
 こうして、少々面倒な手続きを経て、私の念願叶って、ベリーが日本平動物園へやってきました。でも、受け取りに行った時の、「お前なんか何処へでも行っちまえ」の言葉とは裏腹の雰囲気に、責任はひしひしと感じさせられました。

★嫌われたジュン

 よくもこれだけ態度が変わるもの、あきれるより半ば感心しました。ジュンはかつて同居していたチンパンジーのリッキーに対して、どのような思いを抱いていたのでしょう。少なくとも、こちらが思うような好意は抱いていなかったようです。
 ライバル意識むき出し、遊びの中には闘争的な要素すらありました。リッキーが私のひざを占領すると、泣きわめいてだだをこねたぐらいです。
 それが、豹変。「君、名前は何て言うの。僕と一緒に遊ぼうよ。仲良くしようね。」そんな表情がありありでした。しかし、何が何だか訳の分からないベリーにとっては、急に環境が変わるわ、いきなり汚いサル(ジュン、ごめん)がそばにやって来るわでは、たまらなかったでしょう。
 先に述べましたが、ベリーは人工哺育で育てられています。当然のことながら、オランウータンとしての自覚などある筈もありません。周囲がヒト、ヒト、ヒトの中で大事に可愛がられて育てられてきたのです。ジュンを見た時、さぞやゾッとしたことでしょう。
 逆のジュンの立場にしてみれば、母親を失くして以来初めて接する仲間です。嬉しくて嬉しくてしょうがなかった筈です。この時ジュンは三才一ヶ月で、ベリーは二才五ヶ月でした。
 ベリーを早く欲しいと思ったのは、ジュンをひとりぼっちにさせたくないのが主たる理由でしたが、もうひとつの理由がありました。ベリーがまだ幼い内に、オランウータンと付き合えるようにしておきたかったのです。人工哺育の個体は、年を取れば取る程それは困難になりますから。
 これでゴリラの時のように一年八ヵ月も要さずに済む目安は、一応立てられました。と思いつつも、あまりにもの二頭の極端な意識の違いに、大変疲れる見合いではありました。
 ベリーを抱いてジュンのいる運動場に入りますが、身は石のように固くなっています。遊びたい一心のジュンは、そんなことにお構いなく何やかやとちょっかいを出します。
 その内いきなりジュンの腕に思い切りがぶり―。驚いて怒るジュンですが、決して強く仕返しをしようとはしません。そうこうしている内にベリーの心臓の鼓動は高まってきます。ドキッ、ドキッ、ドキッ、私の胸にはっきり伝わってきます。
 今日はここまでと運動場を出ると、今度はジュンがわめきます。「連れてっちゃいやー。ずっと一緒にいたいようー」とでも言うように。しかしながら、ベリーの心臓の高なる鼓動を聞いていると、ジュンの気持ちは汲めません。
 こんな見合い、一ヶ月余り続きました。一緒にいたいジュン、いたくないベリー、頃合いを見計らうのは大変でした。
 ある時、ジュンの体をく見れば、あちこちベリーに咬まれた歯型でいっぱいでした。ジュンはジュンなりに耐え、ベリーはベリーなりに覚悟して、同居できるようになったのです。

★病気のオンパレード、体温は揺れる

 一年間は大変だろう、いろいろ面倒は起こるだろう、長年の経験と人工哺育の個体の精神面の弱さを考慮して、それなりの予想や覚悟はできていました。でもベリー、こちらのその予想を何倍上回って不安と焦燥を与えてくれたことか…。
 体温の測定を飼育の基本に据える、そう考え実行して三年余り。当然、それはベリーにも当てはめました。一緒にしても大丈夫と確信が持てたのも体温測定からです。初端ジュンがそばにきただけで四十度前後にまで上がった体温も次第次第に下がり、一ヶ月も過ぎると三十八度四〜五分で治まるようになった為です。
 夏場に入って、動きが悪くぼうっとしているのであれっと思うと、体温は四十度近くまで上がっていました。コンクリートやアスファルトの照り返しによる軽い熱射病でしょう。これは二、三日で治まりました。
 ジュンとは今ひとつ打ち解けられないようであるものの、秋の涼しさに食欲も安定してまずまず。と安心したのも束の間、風邪でダウンです。熱は上がり食欲は落ち、下痢して体重は急降下。発熱は四〜五日で治まりましたが、体調がほぼ順調に戻るにはなお二、三週間要しました。
 これで治まるだろうなんて、甘い展望。日誌を読み返しつつ、泣かれわめかれしがみつかれて、可愛さなんて通り越えて苦虫を噛みつぶした日々が思い偲ばれます。
 動きの鈍さは、寒さのせいだろうと軽く考えている間に、次第次第に食欲が落ち体温まですっきり上がらなくなり始めました。いいえ、むしろ下がっているようですらありました。体温を下げる薬はあっても上げる薬はない、獣医のこの言葉に不安が募って…。
 喜べない的中。あまりにもの体調の悪さに血液検査を以来したのですが、結果は極度の貧血とのこと。言わば血液の栄養失調、体温が上がらない訳です。鉄剤シロップを与えて治せましたが、これが一番疲れました。 
 体温から見る病変のデータとしては、最高のものができました。でも、もう二度としたくない体験です。とは言え、ピンチの時に湧くファイト、不思議なぐらいです。
 私を見ると未だに何か言いた気な表情を示すジュン、ひょうひょうとしているベリー。二世、いいえ三世の誕生は担当者のみならず私の夢でもあります。その時こそ、かつての苦労が懐かしく楽しく甦ってくるでしょう。
(松下 憲行)

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