でっきぶらし(News Paper)

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わっ、お化けざる

 ”お化け””ゆうれい”そんな名のつく動物がいると思われますか。実は、いるのです。和名ではキツネザルとなっていますが、英名のレムールの意は、先にあげた意になるのです。 
 アフリカ大陸の東横に位置するマダガスカル島に棲む、この原猿類をひと目見て、欧州人はお化けを連想し、日本人はキツネを連想した、そんなところでしょうか。いずれが的を得ているかはともかく、お化けと名付けたほうがお客様の関心を引き人気者になったのでは、と担当する身としてはそう思います。
 面白いと言うか、好奇心にかられると言うか、食性が種類ごとにずいぶん違い、習性にしてもニホンザルなどと比べるとずいぶん特異なものを感じさせます。
 そんな彼らの横顔を真夏の怪談よろしくとは参りませんが、ペンの赴くままに語ってみましょう。

★エリマキをしたお化けざる

 襟巻きまでしているようなふわふわした毛は、本州の三倍はあると言われるマダガスカル島の中でも、ずいぶん寒いところで生活をしていることをうかがわせます。実際にちょっと暑くなるとハアハア、日影のコンクリートにスルメのようになってべたっと張りついてしまいます。寒さに気を遣うのは、子が生まれた時のしばらくの間だけです。
 このサルでうーんと不思議に思ってしまうのは、その子に関して。まず、子は親にしがみつくことができないのです。生まれたばかりの子は弱々しく、明日にでも死にそうなぐらいです。
 それだけではありません。子は、まず単数で生まれないのです。今年も三頭、今までのを合計すると七回・十九頭です。分かって頂けるでしょうか。当然、お母さんのおっぱいも二つなんてことはありません。四対、八つしっかりくっいています。
 次に面白いのは、オスとの関係。オスはたいてい威張っていて、優位に立っているのがふつうです。それが全然、全くだらしないったらありはしません。特に出産直後のメスに対してはビクビクオドオド、同性として情けなくなるぐらいです。
 子が成長するに従ってメスの緊張が和らいでくると、オスも幾分かは落ち着いてきますが、それでも絶えず顔色をうかがう様子は変わりません。子がやんちゃ盛りになると、けっこうオスのところへも遊びにゆきますが、可愛いから何もしないのではなく、メスが恐いからの表情がありあり…。
 極めつけは、子の成長に伴う下克上。母子群の中に全く入ってゆけなくなり、メスどころか子にまで、いじめられてしまうのです。悲しそうに隅っこで上目を使っている様、笑えない場面ですが、笑ってしまいます。

★尾に輪のあるお化けザル

 このサルが、日本の国に初めてお目見えしたのは一九一三年だそうです。八十年近い歴史の歩みは重く、他のお化けザルがいない園でもこのサルはいる、それぐらい馴染み深くなっています。
 飼育し易いのかと問われれば、一応「はい」との答えにはなります。与えるものは何でもよく食べ、たいていの園で繁殖も経験しているとなれば、そう答えざるを得ないでしょう。
 しかしながら、しかしながらです。何でもよく食べるものの、問題は消化効率が良過ぎることです。食べたものをしっかり身につけてくれるのは、実は有難いようでちっとも有難くないのです。
 ある園では糖尿病を出して悩んでいます。又ある園のは強烈なタイコ腹の為にダルマさんのようになってしまっています。当園にしても、獣医より警告に近い忠告を受けて努力はしているのですが、太り気味は押さえきれません。
 それに、意外に気性の激しい一面を持っています。私が担当した時、夫婦・親子の最も血縁関係の濃い形で五頭いました。このような場合、トラブルはそう起きないものです。
 時折、トラブルの跡が見られても、例の恋の季節に起きるメスとオスとの軽いもめごとぐらいに考えていました。が、そうではなくて何が原因かは分からないものの、母子間ですさまじい対立を起こしていたのです。
 一頭追放され更にもう一頭、この時は左足の甲に数cmの裂傷を負わせました。体重は三〜四kgしかないものの、彼らの犬歯の切れ味は抜群、カミソリのように深く鋭く切り裂きます。
 身をもって、ほんの少し体験しました。治療するために捕える時、はずみでメスの犬歯が私の右人差し指をすうっとかすったのです。それだけで、痛みも何も感じず鮮血だけがポタポタ。まともにやられていたら、と考えただけでゾッーとします。

★黒いお化けざる

 お化けのイメージ、このサルはかなり強く持っています。真っ黒な毛に覆われた険しい顔付きのサルが、森の中からいきなり現れたらさぞやドキッとするでしょう。
 でも、真黒なのはオスだけ。メスは、全身ほぼ褐色に近い毛で覆われています。もし、知識の下地がなければ、それぞれ別々の種と間違ってしまうぐらい違っています。
 かつて、このことを巡ってちょっとした騒ぎがありました。ある文献によると、生まれたばかりの子はオス、メスどちらも黒で、成長するに従ってメスは褐色に変わってゆくと書いてあったのです。で、当園で最初に生まれた子は、初めっから全身褐色。あれっ、文献と違っている、いったいどうなっているの、とカンカンガグクとなった次第です。
 だからと言って文献はいい加減、そんな見方はよくないでしょう。食性や習性等、奥が深くて分からないことが多過ぎて、権威ある本でもミスを犯すことがある。そう考えるべきでしょう。
 この黒いお化けざる、年を取るとあちこちに白い毛が目立つようになります。何やらヒトみたいですね。最初は皮膚病かと思ったのですが、前にいたオスも同じような経過を辿ったそうです。
 よく人馴れしていて、たまにはなでてあげようと思うのですが、メスがとってもヤキモチやきで触った後が大変。「アンタばかり可愛がってもらって憎たらしい」とばかりに暫くは大喧嘩です。こんなこと、二度とばかりありました。

★茶色いお化けざる

 黒の隣りは茶、色が違うだけの別のお化けザル、と言ってしまっては味気ありません。かつては別の種とされていましたが、今は同じ種であるものの、棲む場所の環境が違って体色や体型がやや変化した、亜種の差として扱われています。先のオスとはともかく、メスを比べれば確かにそんな違いは感じさせません。
 と言いつつ、他園で茶色いお化けザルと出会って当園のと比べると、皆どこかが違うのです。毛の色が濃い薄いだけでなく、顔付きも違えば、毛がふわふわしているかと思えば、粗さを感じさせるのもいるのです。
 マダガスカル島とコモロ諸島にしか生息せず、原猿の中でもやや特異な進化を遂げたこのお化けザルの仲間、ひとつの種の間だけでよくもこう変化するもの、と驚かされます。私達のいちばん身近にいるニホンザルと比べればなおのことうなずけます。
 本州にいるのと九州の屋久島辺りにいるのとは、明らかに亜種の違いがあります。でも、その違いをスパッと見抜ければプロの中のプロ。私はとても自信はありません。
 マダガスカル島の奥の深さ、まだまだ未知の世界がベールをはがされることなく眠っている。茶色いお化けザルは密かに語りかけているのかもしれません。そう言えば何年か前に、湿度が百%近くて竹林が覆い繁っているところで、新種が発見されたのを耳にしたことがあります。

★灰色のお化けざる

 今はもういません。四年前に私がここの担当を命じられた時でさえも、ゴサク(メス)と名付けられたのが一頭いるだけでした。
 この最後の一頭と接触を深めるにつけ、何とも不思議な気持ちにつつまれたのは、他の種とあまりにかけ離れた食性です。竹の子が好き、竹や笹の新芽が大好き、動物食の嗜好性はなし、サルの食事というより草食獣に近い食事でした。
 ひとくちにサルと言っても、世界にはほぼ二百種類がいます。当然、ハイイロのお化けザルのような食性のサルもいます。コロブスとかラングーンとかルトンとかの名がつくリーフィーターの仲間です。でも、彼らとの縁なんて何処を探しても見当たりません。
 全盛期には、何頭いたでしょう。オスと間違われたゴサクがよく子を生み、他の研究機関へ出す余裕さえあったぐらいです。
 いつしかそのゴサクもうまれなくなり、そして一頭減り、二頭減り、私が直接触れられたのはゴサクのみとなりました。しかも、たったの一年。とは言え、正面から向かい合えたのは、サル全般を考える点からも貴重な体験でした。

★太い尾のある小さなお化けざる

 これも、今はいません。先頃十七年 ヶ月の飼育記録を作って、あの世へ旅立ってしまいました。今後まず飼育できることはないであろうことを考えると、いくら惜しんでも惜しみ足りない死です。
 このお化けザルをいちばん最初に担当した飼育係が何に驚いたかって、秋口に入ると食欲が落ち出し、冬になると全く餌を食べなくなってしまったこと。病気にしてはおかしい、と文献を調べまくって分かったのは、冬眠する習性を持っていることでした。
 冬眠するサルなんて初耳。担当者ならずとも驚きます。太くなったり細くなったりする尾は実は養分の貯蔵庫だったのです。
 そうした諸先輩のアドバイスを受け、三年余りこのお化けザルと接して思ったのは、動物性たん白質に対する要求量の非常な高さです。マーモセットやタマリンを飼育するように接して、ちょうどいいぐらいでした。
 冬期の餌の欠乏がこのような食性や習性をもたらしたのでしょう。ヒヨコさえむしゃむしゃ食べるたん白質への欲求、それぐらいでなければ長い冬を越せないのは道理ではあります。
 それにしても、不思議なサルがいっぱいいるマダガスカル島。サルの専門家を夢中にさせる島と言われていますが、たった五〜六種でこうなのですから、より多くのサルを調べればそうなってしまうかもしれんせん。全く私達を魅惑してやまない”お化け”です。
(松下 憲行)

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