でっきぶらし(News Paper)

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心に生きる動物達(慰霊祭にむけて)

 今年は獣医の忙しそうな姿がよく目につきますが、そういう時はだいたいよくないことが重なっている時です。あっちで病気、こっちで怪我、はたまた難産、やたらとやってくる野生の疾病鳥獣、等々…。
 そうした合間にも人工哺育している動物の手伝い、アドバイス。何が自分の仕事が分からなくなるぐらい次から次、ため息をつく間もないでしょう。
 その忙しさ、努力に動物は必ずしも報いてはくれません。「今年も悪いことが多過ぎた。お浮「をして貰わなくっちゃあ」と獣医の口から出るのは悔恨ばかり。砂を噛むような味気なさに見舞われるのは、こんな時!?
 でも、本当に何も残らなかったのでしょうか。努力は徒労に終わったのでしょうか。いいえ、彼らの命は天に昇っても、魂は私達の心に生き続けます。断言できます。私の心の中にだって、様々な動物が今なお熱い吐息を立て続けているのですから…。

★人見知りしたオウサマペンギン

 開園当初、ペンギン池にはフンボルトペンギンの他にオウサマペンギンとビクトリアペンギンもいました。もっとも後の二種は暑い時期は冷房室のある東山動物園に預かって貰っていましたから、お目にかかれた機会は少なかったと思います。
 それがある時、日影等を多くして夏場でも飼えるようにしろ、と園長よりの厳命です。すぐに拒食を起こすあいつを、と何だか歯に立ちそうもない相手に決闘を拒むような気持ちでした。
 オーバーな、と思われるかもしれません。といわれても甦るのは前年の最後まで半ば強制するしかなかった給餌、臆する気持ちを押さえながらやるしかなくなりました。
 初端のお見舞いは、やはり強烈な拒食でした。でも、昨年の経験があります。無理に押し込んでも後でゲロゲロ吐いてしまうのは見え見え、小アジをくちばしにくわえさせ、飲み込むしかないように押さえました。
 苦心の末の工夫は、それなりの効を奏しました。が、今度は私の顔を見るなり池へドボン、陸へ上がった時の隙をうかがって捕えて与えたまではいいものの、くちばしの強烈な反撃をおでこや胸に食らって…。
 時には狭い箱の中に入れ自由を奪ったり、プールを仕切ってフンボルトペンギンと分け捕まえ易くして頑張ること数ヶ月。何とか私だけを認めてくれるようになりました。つまり、さあ餌だと池から上がってきても、そこにいるのが代番者だと再び池へドボン。誰に似たのか、頑固な性格でした。
 いつしかフンボルトペンギンと一緒に池の中にばらまいた小アジを食べるようになって、何の心配もなくなった頃に担当替え。そのオウサマペンギンが腸炎で死んだと耳にしたのは、それから三〜四年後だったでしょうか。手を煩わせてくれた分、今も心に強く残っています。

★夕陽に吠えるトドのラニー

 北海の海獣トド、体重は一トンに達しますから、陸をのっしのっしと這う姿も又泳ぐ姿もなかなか圧巻です。
 アシカ池にかつてトドがいたことを覚えておられますか。「はい。」と答えられた方には、少なくとも若者と言うには?のつく方が多いのでは…。そう、これも相当に以前の話です。
 大きいことはいいことかどうか。同居していた、五分の一にも満たないであろうアシカ達はそう恐れているようではありませんでした。何たって小回りが効くものだから、トドに与えたつもりのサバをすかさず横盗り、トドが怒って追いかけるものの結局諦めざるを得ない、そんなことがちょくちょくありました。
 ラニーと名付けられたこのトド、餌には素直でもどこかかんしゃく持ちのところがありました。特に清掃の為に水を抜かれた時は不機嫌はピーク。追いつ追われつのケンカをよくやり、ちょっとばかり恐いめにもあわされました。
 そんな彼も、ひとりぼっちはやはり寂しかったのでしょう。ある日アシカのジュンが出産すると、何をとち狂ったのかべったりくっついてしまう始末です。自らのファミリーとでも思ったのでしょうか。
 迷惑なのはアシカのほう。そんなにべったりとくっつかれてしまっては育児どころではありません。結局、そんな“迷惑行為”故に再び隣りの小さな、かつて自分がいやがっていた池の方へ移される破目になってしまいました。
 それからしばらく経ってからでしょうか、ゼイゼイハアハアするようになったのは。呼吸器系を病んだのでしょう。闘病生活は長かったように思います。
 その内サバを全く受け付けなくなって、最後にはヒト様もおいそれとは頂けない新鮮なイカが与えられましたが、弱りきった体はそれすらも食べなくなりました。息を引き取った時の彼の体重は、全盛時の半分ぐらいではなかったでしょうか。
 往時は、それにしても格好よかった。誰が撮ったか知らない写真、ダイビング台の上で夕陽を背景に吠えるような勇姿、それがいつまでも心に残っています。
 
★出産記録を残してトラのカズ

 トラのカズ、彼女程多くの人の心の中に生き続けている動物も珍しいでしょう。第一私にしたって担当したこともなければ、代番の経験だってありません。それでも、私にとってトラと言えば、イコールカズなのです。
 何を言ったって、赤ちゃんをよく生み続けました。印象深さはそこにあります。そして、彼女と彼女の子を一番しつっこく撮り続けたのは、私ではないでしょうか。
 声をかける度に「クフフッ」と鼻を鳴らしてあいさつしてくれたカズ。他者はたいてい嫌われるのに、彼女はいつでも穏やかな表情で接してくれました。いろいろなトラを見てきましたが、彼女程のやさしいトラにはまだお目にかかっておりません。
 親をシュート内に閉じ込めて子だけを写真に撮る。考えてみれば相当に危険な行為です。場合によっては、後で食殺も起こり得ます。でも彼女に対してそんな心配をしたことは一度もありません。事実、トラブルは一度もりません。
 そんな彼女が神経質さを見せたのは、先のオスが死に入れ替わって新しいオスがきた時でした。餌を食べなくなったどころか血まで吐いたそうですから、強烈なストレスが襲ったのでしょう。それでも、彼女は新しいオスを受け入れました。
 トラのペアリングはむつかしいと言われているのに、彼女は二度もオスに先立たれる不幸を繰り返しながら、なお出産記録をのばしていったのです。立派です。
 今、書棚に並ぶ多くのスライドの写真、その中のカズの写真は私にとって宝の中の宝です。カズ、いい思い出を沢山の思い出をありがとう。

★孤独に耐えてオランウータンのテツ
 
 来園したばかりの頃は、ずいぶんいじけた奴でした。私の顔を見ても、恐がるばかり。ミルクだよさあ、と与えようとしても顔を下に向け、横に向け、決して飲もうとはしませんでした。
 間もなくテツとメスのクリコの面倒を見ていた、動物商に働いている二人の女性が面会にきてその理由が分かりました。幼少時(動物商に売られる前)にずいぶんひどい扱いを受けたことがあり、ヒト恐怖症の一面を持っているとのことでした。
 だからと言って、やさしく接したりはしなかったように思います。それよりもいいメスを得て、生活のリズムが整って落ち着いた環境が彼を救ったように思います。当時、どう言い繕たってメスのクリコに気が入っていました。
 テツに教えたのは、お座りと静止ぐらい。体が丈夫ならそれでよし、とむしろ軽い付き合いでした。それが気が合い出したのは思春期に入るちょっと前の頃。私の乱暴な冗談を受け入れるようになってからです。
 「おい、テツ遊ぼう」と、やることはいきなりボクシング、レスリング。顔に二、三発きれいなパンチを貰ったって、痛がるどころかもう嬉しくってたまらず、乗って乗って乗りまくってきて三〜四十分なんてあっと言う間。オスは、本当に荒っぽいことが好きです。
 これは、私が意識した以上に絆を強めました。が、結果的にそれが落とし穴。テツのクリコへの執着心を甘く判断する素因となり、最後は逆に強烈に押さえこまれ手痛い返礼を受けました。
 そんな頑固だったテツも、最後はあっけない。テツが死んだとの獣医の報告は、寝耳に水以上にびっくり仰天。夕方苦しそうな声を出しているので、どうしたんだ、と思っているうちに息絶えてしまったそうです。
 クリコが死んで、次いでテツ。私にはあまりにもほろ苦い報告でした。

★ヤジオウム、キパタンのロロ

 オウムと言えば、もの真似。かつて子供動物園で飼われていたキバタンのロロ、お世辞にも上手とは言えませんでした。でも無類の人懐っこさとヤジドリ根性で、いつも皆の関心の的…。
 人が何人か集まると仲間に入れろと言わんばかりに割り込んできたりと、とにかく人が好き。もっとも、工事関係者にとって大事な見取り図、設計図もちょっと目を離した隙にくちばしでボロボロに、なんて悪さをすることもありました。
 放浪することもしょっちゅう。担当者がしまおうにも、高い木に上がってしまって知らんぷりしたりしているのです。
 極めつけは、誘拐です。何処を探しても見つからず、担当者の直感はお客様が持ち帰ってしまったのでは…。テレビ、新聞でこの旨を流して貰うと、翌々日あたりにそっと帰されていました。
 この世とのお別れも、いたずらが元。電信柱をよじ上り、変圧器をいたずらしたそうです。
 私はその日は休日で、後から聞いたのですが、動物園全体が午後一時過ぎに急に停電。原因を探している内にロロの感電死体が見つかり、同時に原因も分かった次第です。
 動物園の内も外も含めて最も多くの人に愛された、それはやはりロロが一番でしょう。

 ここに話した心に生きる動物は、ほんの数例です。私の胸の中だけでなく多くの仲間の胸の中にも、いまなおいろんな動物が力強く息をしています。
 今度もじわじわと近づく慰霊祭。表面的には、何を今更の気持ちになります。でも内面は多くの動物が去来し、心中はより複雑になってゆきます。
(松下 憲行)

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