82号(1991年07月)4ページ
動物病院だより
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、いろいろな思いがある秋、皆さんはどんな秋をおむかえですか?
今年はどういうわけか子供が生まれても、死産であったり、親がめんどうをみないので、人工哺育になったり、途中で子供が死んでしまったりして、なかなか親子でいる姿が見られないでいます。
一面でふれていましたが、今年は治療にあけくれていて、その結果が、うまくゆかず、おめでたのニュースも乏しくて、落ちこむばかりなのです。なんとかいい方向にいこうとあがいても、あがいても立ち直れず…、秋風がやたらと身にしみる感じがしています。
そんな中で、病院の事務所にいるダイアナモンキーとシシオザルの子、夜行性動物館にいるオオガラゴの子が順調に大きくなっていてくれるのがせめてもの救いとなっています。残念ながらいずれも人工哺育ですが…。
ダイアナモンキーの母親は一九六九年七月に来園した個体ですから、かなりの高齢です。このメスは、一九七四年七月に初めてオスを出産したのですが、めんどうをみないので人工哺育に切りかえました。そして二度目も、三度目も人工へ。ここまでくると、このメスはダメだとあきらめてしまいますが、一九七八年七月、四回目の出産時、オスといっしょにいて安心したのかうまく育ててくれました。それから今までに五頭出産しています。(成長したのは一頭)
今回も出産時、胸に抱いていてくれ、第一関門は突破しました。しかし三日目の朝、獣舎をのぞいてみると子の身体がぬれていて、あまりいい状態ではありませんでした。そして午後、のぞいてみると、子供が母親のところにいないのです。「あれ?」よーく見るといっしょにいる長女が抱いてしまっていました。ある程度の大きさになると、いっしょにいる別のメスのところに子供がいくことはありますが、生まれたばかりの子では、そういうことはありません。「あ〜あベビージャックだ!!このままじゃダメだ。とりあげよう。」と松永飼育課員と相談しました。
松永飼育課員は、前回号の「でっきぶらし」に書いていましたように、カリフォルニアアシカ、シシオザルの子育てで、大奮闘中だったのです。そこにまたしても、ダイアナモンキーの子が加わったのですから、こりゃもう大変!!頭の中は大パニックではないでしょうか。
でも、シシオザルで哺乳作業はみっちりしこまれていましたから哺乳そのものはあまり苦労しないで済んだようです。
ただし、ちょうど夏休みをとる期間中に入っていましたから、代番の石井飼育課員と交代で夜間哺乳をやるのに苦労したと思います。
そんな二人の努力の甲斐あって順調に大きくなっています。二頭でいれば、少しはサルの付き合いができるようになるのではと期待しています。
オオガラゴの方は、七月二十八日に当園生まれの娘が出産しました。父親は昨年の十二月に野毛山動物園から来ました。昔、オオガラゴのオスとメスと同居させた時、けんかしてたいへんだったので、今回もダメかと不安を持ちながらやってみたら、それほどのトラブルもなく同居できました。母親と娘がいる中にこのオスを入れたのですが、最初から娘の方に関心があって、母親の方は無視。どうやら若い方がお好みのようでした。
娘にとっては今回が初産。それにいっしょに母親がオスがいては落ち着かなかったのか、産みっぱなし…。はたまた人工哺育となった次第です。
こちらの哺乳は、体重が42kgと小さいですから不通の哺乳ビンでというわけにはいきません。そこで、ガラスの注射器を哺乳ビンとし、注射針のまわりにガーゼを巻きつけて乳首として与えることにしました。
オオガラゴもサルの仲間ですから、ヒト用の粉ミルクを与えています。今年はチンパンジーに始まり、シシオザル、ダイアナモンキーそしてこのオオガラゴと、赤ちゃん用ミルクの消費が多いようです。
最後になりましたが、前回号で言っていたコンドルの卵は、七月十一日無事フ化、それも願いどおりメスだったので大喜びしていました。ところが、途中からあまり餌を食べなくなってしまい、残念ながら八月十三日死亡という最悪の結果に終わってしまいました。
(八木 智子)