86号(1992年03月)9ページ
オランウータンを語る?V(クリコ・育児への道)【介添え保育へ】
妊娠に至る過程の痕跡は何ひとつ逃がすまい、とにかく必死でした。どうにか無事に生ませ、人工哺育でながら大きくしているものの、前回のそれは正しく赤っ恥ものです。
次の妊娠は(も?)思いの他早く、翌年の五月上旬の予定がすんなり出ました。内心かなり自信がありましたが、前回が前回だけに大きなことは言わぬことです。
放飼場はひとつしかなく、午前中はクリコで午後はオスのテツ、と分けて展示していました。予定日が迫っても日中はまず生むまいし、何らかの兆しが見えるだろう、とたかを括っていました。
昼休み、仲間と将棋をさしていると、オランウータンが出産した、たった今お客さんが報せてくれた、です。昼前、クリコはいつもと何も変わらないので、安心して昼食を取りに戻っていました。なのにです―。
表情は、前回と全く違いました。穏やかで落ち着いたものです。「クリコ、さあこっちへおいで。部屋に入ろう」に、クリコは素直にいつものように私に手をつなぎにきました。違ったのは、もう片方の腕の中に子を抱いていることだけでした。
予定日の範囲内、しかも子を床に落とすこともなく、前回のように負傷することもありませんでした。クリコの育児能力はどうであれ、介添え保育にするには万全の状態ではありました。
クリコと私の育児奪戦記、それは次回に語りましょう。
(松下憲行)