88号(1992年07月)10ページ
オランウータンを語る?W(クリコ・育児への道)【母への道はまだ遠く…
クリコは、私が何をしようとしているかは、どうにか理解し始めたようでした。介添えするまでに要する時間は、十八分から十二分、九分、七分、五分と次第に減り、翌日には容易にさせるようになった経緯からも、それはうかがえます。
でも、それはあくまでもボスの命令を容認しただけであって、自らなすべきこととして理解した訳ではありません。気持ちはどこまでも受身でした。
それを露呈したのは、自力哺乳(意味的にはおかしいが当てはまる言葉がない)の妨害です。私がいちいち子を乳首に持っていかなくったって、子はお腹が空けば当然飲もうとします。クリコはそれをさせまいと、せっかく吸いついても子の足を引っ張ったり、脇をしめたりして吸えなくしてしまったのです。
それだけではありません。日が経って気持ちに余裕が出てくると、子をおもちゃに。シラミやノミを潰すように、子の頭をいじくりまくったのです。子がどんなに泣きわめこうともお構いなしにです。
かと思えば、おチンチンを舐めたりしゃぶったり引っ張ったりし、とやりたい放題です。一度、丸くふくれあがったことがあり、本当に真面目に心配したことさえありました。
子を抱くまではいいものの、後はまるでダメ母。育児は学習であるとさんざん言い聞かされてきましたが、クリコはかけら程も学んでいないようでした。
他園のケースでは、一ヶ月程介添え保育するだけで母親に全て任せられるようになっており、かなりうんざりしたのも事実です。取り上げてしまいたい衝動にもしばしばかられました。
と思う反面、私がクリコの少女期に夢中になってやった訓練が生かされるとすれば、この時だとの気持ちもありました。ここを乗り越えなければ、かつての訓練の意味がありません。