88号(1992年07月)11ページ
オランウータンを語る?W(クリコ・育児への道)【クリコ、赤ちゃん貸し
育児に関して、何もかもが受け身でした。ボスが動くなと言うから動かない。哺乳するのも命令だからでした。でも、その受け身、悪いことばかりとは限りません。
生後三週間も経った頃でしょうか。どさくさに紛れて「クリコ、おい子をよこせ」と、言うが早いか、手が早いか、子をすぱっと引き寄せて奪って抱いて、急いで計量器に。クリコは呆気に取られて、ただじっと私のほうを不安気に見つめているだけでした。
子の成長を確かめる最も良い方法は計量です。が、簡単にできることではありません。多少の信頼があったとしても、二十四時間ずっと抱き続けているのを一瞬であれ引き離すのは、母子共々に担当の不安を抱いてしまいます。
十年間、面倒を見続けてきたのです。信頼関係はなくはなかったでしょう。けれど、連日、幾度も幾度も介添え時に厳しい我慢の命令を受けて、それが子をどうにかされても、奪い返してはいけないような気持ちにさせられてしまったようでした。
面白いことに、このようなことは一度すっと通ると、後はスムースにゆくものです。次の日も、更に次の日も、クリコは多少めらいつつも子を貸してくれました。
これが母親として合格の個体だったら少しは自負できるのですが、だいたいこんな命令を素直に聞くこと自体おかしいのです。たまたまでなかったのも、どうもほんのわずかなひと時ながら、自由になれるのを楽しんでいたようでもあるのです。
ともあれ、代番者にも大きな協力を仰ぎ、三ヶ月も要した介添え保育から開放されたきっかけは子の体重測定でした。加えて母体の健康管理も容易になり、ややもすれば招き易い肥満を予防できました。
どこか利用された感もなきにしもあらずでしたが、まあ、双方に利益があったのだから“良し”としましょう。