95号(1993年09月)13ページ
ライオンの同居てんまつ記 長谷川祐 “トサ”ライオン♂八才
私が猛獣担当になり、直接“彼”と関わる様になってすでに四ヶ月になります。
本当は“彼”なんぞではなく“奴”と呼んでもよいくらいなのですが(理由は後程お話します)一応、百獣の王の端くれなので最小限の敬意は浮「ましょう。
さて、私が四月よりこちら日本平動物園に新規採用されてから、初めて“彼”ことトサを間近で見たのは、二ヶ月間の研修の最初の頃でした。まず、くだりのトサ君の顔を見た印象は―何か変だな?―であり、何故、変と感じたかはその時は判りませんでしたが、後に周囲の方々の話を聞いているうちに、だんだんその理由が判ってきました。
はっきり言って、顔が…変なんです。
何と表現したら良いか…強いて例えるならば、透明な厚いガラスの板に思いっきり押しつけたライオンの顔、とでも言いましょうか。遠くからですとよく実感できないかも知れませんが、至近距離で見ると本当にそんな顔をしているのです。
で、私の前任の担当者が付けた名前が「トサ」。
べたんっと平べったい顔が土佐犬のそれによく似ている、と言うのがその名の由来であり、私も最もな命名だとうなずいております。
加えてこのトサ、顔も変ですが性格もそれに輪をかけて変で、人間嫌いはしかたないとして更にライオン嫌いと言うとんでもない♂で、先代の♀のトーイが死亡して独りになっても、むしろそれを楽しんでいる様でした。
が、しかし、平べったい顔のトサ君のそのマイペースの日々も、そう長くは続きませんでした。六月三十日、富士サファリパークより若い♀の「チャーミー」がやって来てトーイの後を継いだのです。ライオン的には非常に性格の良い♀でしたが、案の定トサは最初から敵意丸出しで、初めて同じ部屋に一緒にした時など真っしぐらに♀に突っかかって行った程です。
けれども。二回目に一緒にした時、前回のトサの変で乱暴な反応に驚いていたらしいチャーミーも、今回は腹を立てたのでしょう。
前回同様、いい気になって突っかかって行ったトサの平べったい顔を二、三発ぶん殴り、押さえつけてしまったのです。そのため、トサは大変なショックを受けて、その場でチャーミーに背中を向け、うなだれてしまいました。
天狗の鼻を思いっきり折られてしまったトサは、それからしばらくの間元気がなく、時々私に八つ当たりをする以外、暗い日々を送ったのでした。以後、いくら一緒の部屋に入れようとしても、“彼”はチャーミーと合流しようとはせず、格子越しに隣りにいるチャーミーに吠えついたりうなったりするだけだったのです。
そんな状態なので、外の放飼場には一頭ずつ交互にしか出せず、お客さんが「あれ、一頭しかいないね。ライオン」と言っているのを聞く度に、私は吐息をついたものでした。
それゆえに、何だかんだで数ヶ月が過ぎてしまった十月十八日、ついに意を決して放飼場に二頭を出すことにしました。元々チャーミーの方はトサが攻撃して来なければ自分から危害を加える気はまったくなく、むしろ仲良くなりたがっている様子を見せている事と、第一、“彼女”の方が格段に戦闘能力?が勝っているので、喧嘩になってもまず大丈夫だろうと思われたからです。
十八日朝八時、まずトサを先に放飼場に出し、次にチャーミーを―と、やってみたところ、何とトサは放飼場の入口に陣取って外に出ようとするチャーミーの顔をポカポカ殴り、必死になって出さないようにしてしまいました。
こりゃ駄目だ、と言うので一度両頭とも中に収容し、改めて今度は順番を逆にして出してみました。すると―
思った通り喧嘩になりました。主にトサが仕掛け、その倍の数をチャーミーが反撃すると言う感じで、見た目にもトサが押されているのが判り、両頭ともに咬みつく事は余りしないものの、とにかく殴る殴る、まるでボクシングの様でした。さて、明らかにトサが疲労した九時五十分頃、へたり込んでいる“彼”を尻目に余裕のチャーミーは、丁度発情に入っていた事もあって盛んにトサにラブコールを送り、顔も性格も変で取柄と言えば大食らいくらいの鈍感なトサも、ようやく相手が敵ではなくて唯の女の子である事に気付いたらしく、めでたく夫婦の契りを結んだのでした。“彼”なりに“彼女”を認めたのです。
それから、トサ君がどうしているかと言うと毎日ゝデレデレデレデレしております。朝など先に外に出すと、ちゃんとチャ―ミーを待っているくらいです。あの険悪な日々はどこ吹く風で、ほんの少しライオンも丸くなりやっと私も胸を撫で降ろしております。
皆さん、御来園の折りにはぜひ、トサに御注目を!!本当に平べったい顔です!!